お盆休みの期間中に映画「ルドルフとイッパイアッテナ」を鑑賞しました。
岐阜のとある町でリエちゃん宅に飼われていた甘えん坊の黒い子猫「ルドルフ」。ある日リエちゃんがお使いに出た際、彼女を追っかけて家を飛び出し、魚屋さんに追い立てられて見知らぬ軽トラックの荷台に飛び乗ってしまいます。一晩中車に揺られてたどり着いたのは遠く離れた大都会「東京」のとある町。右も左もわからぬまま途方に暮れるルドルフは、そこで大きな虎色の猫「イッパイアッテナ」に出会います。ルドルフはこれからたくましく生きていくための様々な事をイッパイアッテナから学び、新しくできた仲間の力も借りながら1年を掛けてリエちゃんの家へ帰る事を目指すというのがこの映画のストーリーです。
今回は多少ネタバレになっている事をお許し下さい。わたしは号泣する程感動いたしました(涙腺がかなり弱くなっている事を差し引いても良い作品でした)。この作品は小さい子供たちに読み聞かせる「本」として既によく知られている物語です。自分は読んでもらった事がないので知りませんでしたが、検索するとたくさん書籍が出てきます。この映画に登場する猫はCGではあるものの、非常に滑らかで猫らしい動きをする可愛いキャラクターに仕上がっています。
まず「イッパイアッテナ」とはその虎猫の固有名詞ではありません。呼ばれる人間によって呼び名が違う野良猫である事をルドルフに説明するにあたり、虎猫は呼び名を一つに選べないため「いっぱいあってな」と返事をしたのですが、それが「イッパイアッテナ」という呼び名に聞こえたところがルドルフとの師弟関係の始まりとなります。
イッパイアッテナは以前は飼い猫だったのですが、現在は野良でありつつ街のリーダー的存在で、非常に賢い猫です。何より世間の渡り歩き方を知っています。風貌に明らかに似合わない「ネコナデ声」を駆使し、いろいろなところに出向いては人に呼びかけてエサをもらう。この日はここにいって次はここ、というルーティーンが決まっているかのように動きます。それについていくルドルフ。一緒に行動するにつれ、イッパイアッテナがなぜこんなに食うのに困らずに野良で悠々と生活をしていけているのか、その理由がわかります。
イッパイアッテナに生きていくための知恵を教えてもらいながら(特にとある技術の習得が中心)、東京の街での大切な時間を惜しみつつ、ルドルフはリエちゃんのところに必ず帰ると決意を新たにします。一回りも二回りも大きく成長した黒猫ルドルフは1年以上の時を経て、一生懸命覚えた技術を使いながらついにリエちゃんのいる岐阜の自宅にたどり着くのです。
物語のラストでルドルフは号泣します。そのシーンを見て、私も昔飼っていた猫を思い出して大号泣してしまいました。もし飼っていた猫がしゃべる事ができたのなら、もしかしたらこのルドルフと同じ気持ちだったのかも知れないと思うと、泣かずにはいられませんでした。その理由を述べさせて頂きます(いわゆるリエちゃん側、飼ってる側視点です)。
私が学生の頃に家で飼っていた何匹かの猫はルドルフ達と同じように全て野良猫で、施設のゴミ箱でごみを漁ったりしているところを親父が拾って、車に乗せて自宅まで連れて帰ってきていました。定期的に何度か拾っては来たものの、すぐに外に出たままいなくなったり、病気などで死んでしまったり、それでまた拾ってきたりを繰り返していました。
みんなで猫の話をしながら毎日を過ごしていく事で、猫が家族の中心であり、各構成員(w)のバランスを保つ「緩衝材」的な役割をしていたんだと、私なりに何となく気づいていました。親父がそれを知った上で拾ってきていたかどうかはわかりませんが、親父は亡くなる間際まで野良猫を可愛がっていましたので、猫が好きだった事は間違いありません。
最初の猫は確か私が高校の修学旅行中に死んでしまったのですが、外に出たままいなくなってしまった猫が他に何匹かいました。基本的に猫は家の外に平気で出していたので、何日も帰ってこない事が多々あります。そこであまりに日にちが経った場合は家族で「新しい猫を…」という事になるのですが、「もう少ししたら帰ってくるのでは?」「いやいやもう帰ってこないよ」の間でせめぎ合いが起こります。出ていっている猫の事はお構いなしにです、もしかしたら帰ってくるかもしれないのに。
ポイントとなるのは仮に新しい猫を既に家に連れて来ていて、長い間出ていた猫がそこに帰ってきた場合です。その猫同士がそこで仲良くなる保証は全くありません。両者の距離が少しでも近づくと奇声をあげて威嚇するような状態もよくあります。私たちは常日頃からその両者が相まみえるところを観察している訳ではありませんから、私たちの知らない内に遭遇・相性判断・決裂・険悪ムード・片方退出、のフローが進行している場合があるのです。私たちは新しい猫の方に夢中になり、この仮説の成立を知らないまま過ごしていた可能性がありました。
「帰ってこなかった」のではなく「帰ってきたけど既に違う猫がいた」ために、家に戻れずに他のところへ行った猫がいたのではないか?という疑問に対し、今回の映画は「そうかも。」とストレートに答えていました(勝手な解釈ですが)。個人的に大いにありうると思った私は非常に申し訳ない気持ちになりました。私が大号泣したのはそれが理由です。
言い訳になりますが当然猫は話せません。ご飯が欲しい時も、体を触ってくれるなとアピールする時も、眠い時も、この場所を出ていく最後の挨拶の時も、ちょっと出かけてくるね、の時も全て声は「ニャー」ですので、猫の本当の気持ちは計り知れないのです。でももしかしたらそんな猫もいたのかも知れないと思うと、岐阜に帰ったルドルフがかわいそうで×2……涙があふれて出ていました。
ちなみにルドルフは岐阜に旅立つ際に「さよなら」と別れたはずのイッパイアッテナに再会し、顔をうずめて泣きながら今回の結果を報告しています。さぞ悲しかったでしょう、淋しかったでしょう。今回の報告をするためまた東京に戻ってきている訳ですから…皮肉な話です。
イッパイアッテナの方もまた壮大過ぎる計画を持っており、それこそ岐阜以上に無理じゃね?と思っていましたが、全てを包み込むような環境変化が起こり、ルドルフはイッパイアッテナと共にみんなで楽しく幸せに暮らす、というお話です。一応最後はハッピーエンドという扱いなのでしょう。淋しさは決して抜けないラストではありますが、岐阜の自宅でルドルフがした選択は、この1年ルドルフがたくましい猫に成長した事を意味しています。
あくまで個人的にですが非常に良い映画だと思いました。動物好きな人はもちろんそうでない人も含めて、動物側の視点に立って感情移入できる作品です。是非一度ご覧くださいませ。