映画:「天気の子」を観に行った日は土砂降りの雨

先日の日曜に新海監督の映画「天気の子」を観に行きました。参議院選挙の投票日であり、かつ台風通過による豪雨にも見舞われ、土砂降りの雨の中「土砂降りの雨が降る映画」を鑑賞するというのもおつなものです(選挙はむろん投票済み)。

今回はあの「君の名は。」の新海監督の新作映画という事で、楽しみにしつつ足を運びました。相変わらずの情景描写の美しさ、特に雨が降るシーンにおいてはいろいろな場面を豊富に描き分ける繊細さ・細やかさに感心いたします。映画館の外も大雨ですが、作中でもとにかく大雨です。映画の登場人物らと同様、晴れる日が待ち遠しいと否が応でも思いますね。まあ現実世界は雨が上がったら本格的な夏の到来で、暑さと湿度が厳しい季節が襲い掛かって来ますけども。

まだ公開直後という事もありネタバレはしない方向で簡単に書き綴りたいと思います。

本作は天気の子というタイトル通り、雨の日でもひと時だけ「晴れ」にできる力(以下「能力」)がキーになるのですが、その能力自体よりもその力と向き合う10代の主人公たちの生きざまが強く描かれた作品だと思いました。その能力でお金を稼ぐ、商売のため能力を多用しないと生きていけない社会、まさに今の社会そのものです。

そして今のまま何も足さず・なにも引かないで欲しい、という主人公「帆高」の願いは、大都会東京にうごめく人間のルールと、能力を使う事の「代償」という名の渦に飲み込まれていきます。そして最終的に帆高は社会全体より少女を、自分より年下だった陽菜ともう一度会う事を選択し、その結果映画のラストに出てくる現象を招きます。

パンフレットにある新海監督のインタビュー記事内容を読みました。その中で監督は前作の大ヒットアニメ「君の名は。」において、これまでに頂いた膨大な数の感想・コメントの中でとても印象に残っている一文(私が思うにどちらかと言えば悪い意見)を紹介されていました。

それが「過去の甚大な災害をタイムスリップを利用してなかった事にした、許しがたい物語」という内容です。監督はそれならもっと文句を言われる様な内容にしたいと思い、その反骨精神が今回のラストを生んでいる一つの要因とも述べておられます。

私は映画のラストをみて最初は驚きましたが、よくよく考えれば当然あり得る話だと感じました。反骨精神で個人的に導いた結果ではなく、ジブリ映画と同じように明確なメッセージ性のあるラストとして受け取っています。

人間と地球は決して対等ではありません。自然現象のみで活動する地球という惑星にたまたま生まれた生物である人間が仮住まいしている訳ですから、正直なところ地球や自然が人間の都合など聞いてくれるわけがないのです。実際に作中でもそのラストを受け入れて生活をしていく人々が描かれていますが、「災害ではなく現象として」受け入れていくしかないと思いました。

あくまでアニメですから、どのような展開・エンディングでもその制作者の自由だと思います。ただ、ここ数年はとくに天候による様々な自然災害が世界各地で起きている事を鑑みると。この映画のラストのような現象も起こりえない事ではないと思うのです。

劇中で「天気は狂っている」というセリフが出てきますが、人間社会の歴史は地球誕生から今までの悠久の歴史に比べれば、瞬き一瞬の事に過ぎません。天候・気象はコントロールできるものではなく、人間に都合よく動くものではないのです。島国である日本が全て水没する程の異常気象が起きる可能性だってあると思います。ですので天気は狂ってなんかいないのですが、人間の都合で「狂っている」と表現されているのだと思います。

それから今はとくに生きづらい社会、特に若者にお金が回らない時代だとも監督はおっしゃっておられました。私は全然若くないし、自分で仕事をしているのでお金が回っていない部類には入っていないと勝手に思っていますが、確かに今の若者・子供たちは生きにくい社会だろうとは日々感じております。

利便性は抜群でしょうが、いろいろな意味である程度成熟・飽和した社会環境下であり、SNSなどの発展もあって相互コミュニケーションの取り方にある程度難易度が設けられた時代です。

その中で生きる本映画の主人公「帆高」が何を犠牲にしてでもあの子に会いたいという意思を優先する事、そのために社会ルールから逸脱した行動をする事、常識尺度から見ればそれを大人は許してはいけないのでしょうが、私の個人的な感想としてはそれ位の事があっても良いのではないか、むしろそのような事を起こした若者に再起の道を与える事が重要ではないかと思いました。

どの党員のどなたに一票を投じたところで、若者の生きにくさを解消してくれる議員さんはおそらく現れません。この雨もやまないし、雨が止んだ後に訪れるあの湿気の多い酷暑の日々は避けられないからです。

とりとめなくなりましたが、過去の作品のなかでダントツにメッセージ性の強い映画だと思いました。実際に起こりうる話かどうかではなく、どんなルールや規制を新たに設けたところで、自然の力の前には全く歯が立ちません。自然の力を「災害」と呼ぶのは人間だけですしね。

監督は単館で上映される作品であればあのラストにしなかった、夏休みの興行映画として時事性があり全国のみなさんに観てもらえる映画だからこそ、このラストにしたと述べておられました。

例えば私の町にこの現象が起きたとしたらどのように受け入れていくでしょうか…そのためにはもっと知恵と力が必要だと思います。あと、若者に可能性をもっと感じてもらえる社会にできれば嬉しいですね。

 

 

今でも鮮明に思い出されます【MMOドルアーガの塔】その3

2013年にMMOドルアーガの塔を休止したのですが、仕事も忙しい状態でしたし別のMMOゲームへ浮気をしたりはしていませんでした。スマホゲームをしていた位です。

パーティーを組まないとなかなか進まない状況が続いたので、一人でサクサク楽しめるスマホゲームが心地よかったのかも知れません。

2015年から2016年初頭に掛けては両親がそれぞれ病気で他界するなどでしんどい期間でしたが、ついに2016年3月末、MMOドルアーガの塔がサービス終了するという知らせを受けます。

私から見れば両親に加えて追い打ちを掛けるようにドルアーガまで無くなってしまうという事で、大きな虚無感にさらされ、しばらくぶりにMMOドルアーガの塔にログインをします。突然のサービス終了で各プレイヤーも大騒ぎになっていたみたいです。

 

2年半ぶりの「MMOドルアーガの塔」はメインコンテンツの塔が60Fまで実装され、ラスボスであるモンスター「ドルアーガ」も実装されていました。私は結局、あれほど登っていた塔の60Fに到達する事は出来ませんでしたが、最終討伐イベントが準備され、この物語の目的である「ドルアーガ討伐」を達成する事は何とかできました。

最終日を迎え、以前よく一緒に遊んでいた仲間とも挨拶が出来た事は良かったかと思いますが、ログインしなくなった理由を仲間に話したりしていなかったので、ちょっとだけ気まずい気分でした。

当日集まった600ものプレイヤーはそれぞれ「皆さんありがとうございました」「暖かい仲間に会えてよかった」「皆さんお元気で」という感謝の気持ちばかり。サービスが終了して通信が切れるまで大量のチャットが飛び交いました。私はそれまで2年半ログインしていなかったのですが、ただただ淋しさがこみあげていました。

身の回りにあった存在が短期間にどんどんいなくなってしまうというのはこんなにもすごく悲しいものなのかと痛感します。2年半やっていなかったにもかかわらずです。

3月31日の深夜0時、サーバー通信が切れます。これでMMOドルアーガの塔の世界にログインする事は出来ません。塔に登る事もないのです。「サーバー通信が切断されました」というダイアログ画面が今でも目に焼き付いています。

 

サービス終了から3年、パーティーで遊んでいたのはさらにその2年半以上前ですから、5年以上経ってからこんなことをブログで書くのは失礼かもしれませんが、当時は大変お世話になりました。一緒に遊んでくれた全てのプレイヤーに対して心から感謝しています。本当にありがとうございました。

楽しかったあの当時の思い出が今でもふと湧き上がってくる、それがこんな記事を今更書いている理由です。恩返しをしながら塔に登っていたはずなのに、ここにきて「大切な思い出」という名の大いなる恩を受けていた事に気づいたから、いまさら書いているのです。

「失って初めてその大切さに気づく」とよく言いますが、ログインしなくなった時はやっぱり不満が一杯で、「もういいや」と決別してゲームをしなくなったはずなのに、2019年の今思う事は「とにかく楽しいゲームだった」。それだけです、それだけが残っています。いや~何故でしょうかね?

思うに、おそらく今仕事しかしていないからでしょう、多分。

 

今は特に他のオンラインゲームをしようとは思っていません。でもドルアーガはまたやりたいなーと切に思います。時々無性にあの時の記憶がよみがえるので、その思い出を大切にしたい・汚したくない、というのが正直なところでしょうか。

これは「思い出補正」が掛かっていると言えるでしょう。実際にもしMMOドルアーガの塔が復活されたら是非やりたいけども、またあの不満や自分らしくいる事との摩擦は必ず出てきます。楽しい事ばかりではないはずなのです。

若かりし頃の恋愛と同じで、思い出は思い出としてそれ以上触らずに、ずっとこのまま胸に秘めている方が良いのかも知れないですね。その意味では復活して欲しいようなして欲しくない様な…ちょっと複雑な気分です(いや復活してほしいよ!)。

 

MMOドルアーガの塔の思い出は以上です。ここまでお読みいただきまして有難うございました。

 

今でも鮮明に思い出されます【MMOドルアーガの塔】その2

前の記事で4年以上MMOドルアーガの塔にハマってしまったと書きましたが、プロゲーマーの様にやり込んでいたわけではなく、課金額も月1万円程度で抑えていましたのであくまでライトユーザーの部類だったと思います。

初登頂を機に、塔の中で組むパーティー(以下塔PT)だけでなくフィールドでのレベ上げのために組むフィールドPTにも積極的に参加するようになります。それがとても新鮮で楽しく感じました。

先入観でパーティーを組むことを拒んでいた私ですが、殻を破って飛び込んでみて本当に良かったと思います。パーティーで他プレイヤーと一つの目的に向かってわいわいやる事の楽しさ、チャットで会話をつつ物語を先に進める事で生まれる仲間意識など、いろいろな新しい経験をする事ができました。

いままで一人でテレビゲームしかしたことが無かった私に、オンラインゲームは全く新しい世界を切り開いてくれたという印象でした。ライトユーザーではありましたが、そういう意味でハマったんだと思います。

 

私が最初に始めたキャラクターの職種は「ソルジャー系」でした。ソルジャー系は防御力・体力が高い職ですので、塔PTやフィールドPTでは、「敵モンスターの攻撃を受け続ける事」が役割となります。攻撃をする係、回復をする係、と職種の特性ごとに役割がありましたので、それをきちんとこなしていく事がパーティー行動の要となります。

特に塔の中でソルジャー系は他のプレイヤーを自由にさせるため、自分が敵の囮になる役がメインです。宝箱を取る・鍵を取る・扉を開けるという生命線の仕事を自分がするのではなく、他プレイヤーにその仕事をしてもらうために障害となる敵モンスターの注意を引くのがソルジャー系の役目でした。

先述のちょこ歩きももちろんマスターしましたし、壁抜けなども駆使できるようになりましたが、技術云々の前にそのソルジャーとしての役目が自分の性に合っていた事が大きいと思います。

塔をスムーズに攻略するためこの階ではまずどう動くのか、他プレイヤーが敵に見つかったらどうすればよいのか、を考えて行動するのが非常に楽しかった事を覚えています。

塔の各フロアは5F-9F、10F-14F、15F-19F、20F-23F、という感じで5の倍数フロアからおよそ4階上までのフロアを周回していくのが主流でした。土曜日になれば午前中はフィールドでレベル上げPTに参加し、午後からは塔PT募集を掛けてひたすら塔に登る事を繰り返していました。今思えばこの時期が「MMOドルアーガの塔」の一番楽しかった時期ですね。

もちろん初めて塔PTに参加するためにどきどきして待っている人がいる事を想定し、そういった初心者から連絡が来たらお手伝い向け塔PTを構成して登る様にしていました。多少無理をしてでもその初心者のために、と頑張っていたものです。

私自身は初めて塔に登った時のPTメンバーに手伝ってもらった事の恩返しをする事はできないので、それを同じ初心者の方のお手伝いをする事で返していければというのが一番の理由です。その初心者が私の様に塔に登る事が好きで「塔頂者」になってくれれば、それが一番の理想でしたし。

 

しばらくすると、先述の歩行技術「ちょこ歩き」ができなくなったり、新しいシステムの導入などが進められます。オンラインゲームは集客・集金ができないと事業として続きませんので、そのための改変が随時おこなわれていくものです。

プレイヤー側の要望と運営者側の要望が上手くマッチするケースは少なく、プレイヤー側からはいろいろな不満が出てきていました。徐々にこのゲームに顔を出す人が少なくなってくる訳です。

私自身も仕事が忙しくなってきたことが一番メインの理由なのですが、塔PTやフィールドPTに参加すること自体が徐々に少なくなってきました。他にも理由を上げるとするならば、まずフィールドでレベル上げをする際、ソルジャー系はとにかく忙しいので、その作業(例えば3時間とか)をやり続ける事がしんどくなってきた事、でもレベルが上がらないと塔の上層階には行けないので手詰まりになった事が一つあります。

それから対人戦のコンテンツなどのように他人と直接競い合うのは性に合わず、新しいコンテンツに足が向かなくなった事もあります。さいわいフィールド上は一人(ソロ)で何とかレベル上げができていたので(非常に時間が掛かりますが)、4年目に入る頃にはちまちま暇を見つけては一人フィールドでコソコソ遊んでいました。

決して楽しくはなかったと思うのですが、今までの習慣や積み重ねたもの、楽しかった頃の思い出がずるずると長くやってしまう事につながっていたのだと思います。

4年間ハマっていたと前に書きましたが、複数台のPCで一度に2・3キャラクターを動かして一人でPTを作る程ハマっていたわけではないのです。一人で塔のボスモンスターを倒せるまでに武器を強くするため、何万円と課金をする程ハマっていたわけではないのです。

あくまで自分なりにハマっていただけでハマり方には当然度合いがあるものですが、正直そのようにしてまでゲーム環境に対応したくはなかった。自分が自分らしくいられなくなる事も、一プレイヤーとしての不満だったのだと思います。

 

結果的に2013年の中頃には私自身がこのゲームに顔を出す事はなくなりました。

今でも鮮明に思い出されます【MMOドルアーガの塔】その1

今からおよそ3年前、PCオンラインゲーム「MMORPGドルアーガの塔〜the Phantom of GILGAMESH〜」(以下MMOドルアーガの塔)がサービス終了を迎えました。

すでに3年以上が経過しており、その後別のMMOを一時期やっておりましたが、ドルアーガの塔ほど思い入れが続かず、いまはMMOは休止した状態です。

 

実は先日YoutubeでたまたまMMOドルアーガの塔のサウンドトラックを見つけたので、聴いてみたら今までにない感慨深さがなぜかこみ上げてきたのです。

各マップごとのサウンドを聞くたびにその場所の情景や、そのマップ内でレベル上げをしていた頃の記憶が鮮明によみがえります。

実際にMMOドルアーガの塔をしていた頃は、あまりBGM音は大きくせず聞こえるか否か位にしていたので、よくよく聴いてみるとすごく良いBGMだったんだと、今回改めて気づかされたような感じです。

 

今から10年前、2009年に初めてこのMMOドルアーガの塔を始めました。初めは暇つぶし程度に一人で(ソロで)レベル上げをしながら進める、いわゆる普通のRPGゲームとしての感覚でしたが、実は違いました。

MMOドルアーガの塔は60Fある塔の各フロアで謎解きをして宝箱のアイテムを取るのが醍醐味の一つです。しかしそれ以外にも塔に登らないと物語自体が先へ進まない事が、あとからわかります。

塔に登る時には大抵の場合、発起人(パーティーリーダー)が「18Fエピ消化募集、現在ソルスカ、ささおね」というような募集掲示を出します。それに対して参加の意思を伝えてグループに入れてもらい、最大5人でパーティーを組んで登ることになります。

 

これは今でも課題になっているのですが、私自身他人に気を使いすぎる傾向があり、仕事柄個人プレイが多いので、グループ(いわゆるパーティー)を組んで行動するのが苦手な人間です。

ですので塔に登るため他人とグループを組むというのに、当時は非常に抵抗がありました。

何より知らない人と知らない場所にいって共に行動をする、5人で登るからには何かしらの役割があるはずですが、それも全くわからない。

そういったプレッシャーと、下手に思われたり笑われたくないというプライドが大きな障害となり、募集は目にするけど声はかけられないという状態が続いたのを覚えています。

 

でもその当時の自分はここで一念発起して、いろいろできうる限りの事前情報をネットで調べて、募集に参加する事を決意します。

今でもよく参加したなと過去の自分を褒めたいし、自分に感心します。ですのでその時参加したパーティー(15-19F周回パーティー)で塔に登った時の記憶は、10年以上たった今でもよく覚えています。

その塔頂後少しずつ慣れてきた私は、塔パーティーを自分で募集して毎週のように塔に登る、いわゆる「塔頂者」にまでなるのですが、それにもかかわらずこの「初塔頂時の記憶」は色あせません。

今思えば初心者である事を宣言して参加したわけですから、そんなに恥ずかしがったりする必要はないのですけど、右も左もわからないので顔を真っ赤にしつつ、気を使いながらチャットしつつ、とにかく他のパーティーの動きを覚えるのに必死で必死で、という状態でした。

 

「皆さんの各それぞれの動きが上からの目線で全てわかればいいのに」などとチャットした事を覚えています。実際にはそういったMAPウィンドウがあり、みんなが黄色いポイントとして表示されているんですけど、その時は緊張で気づきませんでした(慣れればそんなに大きくMAPウィンドウを広げて使う人はいないし、他メンバーからは特に反応なしでした)。恥ずかしいチャットをしたものです。

それから当時「ちょこ歩き」という技術が現役で、敵に襲われながらも無敵でいられる移動方法、ちょこ歩きを駆使しているパーティーメンバーがいました。

隣で並走しつつ「すげー」とか言いながらその人の動きを観察していると、そのプレイヤーがそのフロア(17F)入口の扉から出ていく事でいなくなり、私はそれまで追いかけていた敵モンスターの群れに一斉に飛び掛かられて一瞬で死んだことも覚えています。

もちろんそのメンバーは、わざとそうなるように仕向けたのです。

 

なぜ自分が死んだのか、なぜ仲間はずっと無敵でいられたのか、自分が初心者だからこそその理由・操作方法がわからなかったのです(慣れていれば並走して観察すること自体しません)。

つまり初心者に対する経験者からのちょっとした「洗礼」のようなものだったのだと受け取っています。「んなことやってるとこういう目にあうぞ」というニュアンスでしょうか。

「敵モンスターのヘイトを意図的に切って付近のプレイヤーにヘイトを向けた」側からすれば(専門用語にご容赦下さい)、ものの見事に罠にはめた感じでニヤニヤしていたかも知れません。でも私にとってそんな事はどうでも良い事でした。

「あの無敵の操作方法を会得したい」「塔の中での動き方・役割をマスターしたい」その念だけが強烈に残ったのです。

 

最初から明確に心に秘めたわけではありませんが、グループで一つの目標に向かって各プレイヤーが各自の役割を果たす、宝箱の中にはものすごく高額で喉から手が出るほどみんなが欲しがるアイテムが出る事がある、そしてあの無敵の歩行方法「ちょこ歩き」。

この初登頂を境に塔に登る事の楽しさ・ワクワク感を持つようになりました。ここからこのオンラインゲーム「MMOドルアーガの塔」に4年ほどハマっていく事になるのです。