ガンダムNTを観に行きました。

12月8日にガンダムNT(ナラティブ)を観に行きました。これで2回目、前回は1日の映画の日が初回鑑賞です。初回に行った時にパンフレットもろもろ買っておけばよかったな…。2回目に行った時はすべて完売状態で入手できすでした。ツイッターでは8日から随時追加販売されるという情報でしたがキャナルシティには届いておらず、、でしたね。

また次回(もしかしたら友人と一緒に来る可能性)がある時はゲットしたいと思います。1回目および2回目も含めた印象としてとても面白かったし、切ない映画でした。

 

ガンダムNTの感想の前に、ふと思う事がありますのでまずはそれを述べさせて下さい。

前回の劇場版ガンダム映画「ガンダムF91」から27年もの月日が空いていたのだと知り、感慨深く思うと同時にいろいろな意味でここにきて自分と同様、ガンダムも「長いトンネルを抜けた」という印象を持っています。

私はF91を20歳頃に映画で見たあとに社会人になり、紆余曲折を経たのちの30歳で個人事業をはじめ、40歳後半になっていろいろな意味で余裕を持てるようになりました。

そして去年、「ガンダムUC」をAmazonプライムで見たのが自分の中でのガンダム再燃のきっかけでした。40を過ぎるまでの20数年間、子供の頃あれほど好きだった「ガンダムシリーズ」を全く気にする気配すらなかったのに突然ガンダムUCをみて、それがとても面白いと思えました。

その世代の全てがそうではないとは思いますが、この年になると子供の頃に好きだった事を思い返す事が多くなります。「あの頃の事を贅沢にもう一度」という感じですかね。子供の頃に戻りたいとは一切思いませんがw。

それまでガンダムもアナザー系が多く出ていたし、決して人気が無かったわけではないと思いますが、爆発的な人気を維持していた様には思えませんでした。いわゆる低調な感じで、それがガンダムUCで復調路線に入ったんだと思いました。そのあたりが自分の辿った人生ラインと重なっているような気がするのです(おこがましい事とは存じています)。

とにもかくにも私はがっつりガンダム世代ですので、ここから私と同世代の人たちが同じようにガンダムに目を向ける可能性は大いにあります。自慢じゃないですが私の世代は非常に人口が多いですしね。これから「UC NexT 0100」プロジェクトも始まりますし、楽しみなところです。

 

ここから映画の感想です(ネタバレ大いにありますのでご了承下さい)。

私はどちらかというとモビルスーツのカッコよさよりも、人間ドラマの方に注目する(揺さぶられる)方です。ナラティブガンダムやネオジオングなどもちろんカッコイイし、のびのび動くシーンはすごいとは思いますがプラモを買いそろえるまでは誠に申し訳ないですがありません。一番好きなのがサザビーとニューガンダムで「固定」されているからですかね。んでもって「サザビー」がいま家にいるからモビルスーツに関しては大丈夫です。

一番グッとくるのは、リタがすでに体は消滅していて魂だけ(?)の状態でフェネクスに取り込まれている所ですよね。

死んではいないのでしょうが、いつでも他人とフランクに話ができる訳ではないのでそれを生きてると言うのか、この世に存在していると言っていいのかはわかりません。

生前よりニュータイプの資質があったがゆえに強化人間として人体実験を繰り返され、特に劇中で理由は明かされていないのですが、ユニコーンガンダム3号機「フェネクス」に取り込まれてしまう事。それをリタは子供の頃から予知していたという事実が切なすぎます。

リタを救えなかったというヨナ・バシュタの想い、嘘をついて自分たちだけ逃げてしまったというやるせなさとそれでも何もできない自分、「生きていても何も良い事がない」と嘆くシーンがあり、このあたりは何度か涙ぐみました。魂だけ残って何の意味があるのでしょうかね。それを「永遠の命」と言えるのでしょうか。本来魂は何の影響も受けない自由なものだが、実態のある血と体つまり生きているという制限があるから不自由だという考えが前提にある様ですが、その辺りはまだ私にはわかりません。

自分以外の「相手」がそこにいてこそ人は「自分」を感じるのであって、触れ合える事・分かち合える事は大切だと思います。魂だけたくさんサイコフレームの中に共存していて、それが永遠に続く…ってそれ何が楽しいの?な気がします。

まあミシェルも本当はそこに幸せはない、自分たちの決着・解決にはならないとわかった上での「前提づくり」だったと私は解釈していますので深追いはしません。でもだからこそ「リタちゃんかわいそー」と思うのですよね。

唯一救いなのはリタ・ヨナ・ミシェルが、フェネクスを通じて一時でも心を通わせる事が出来たところですかね。ガラスに頭を打ち付けて死んだ他の強化人間のようにもしリタが死んでいたらヨナとミシェルはそこから1歩も先へ進めないままだったはずです。ミシェルも死んでしまい、ヨナ一人になってしまいますので淋しい事には変わりはないんですけどね。

 

私の勝手な落としどころですが、今のヨナにとってリタとミシェルが魂となって同じところ(サイコフレーム内?)にいるのは幸せな事なのかも知れません。

なぜなら二人はもう「それ以上遠くへは行かないから」です。近くはないかもしれないけど、それ以上離れてはいかない。これ以上過去の嘘を憎む必要もないし、2人の笑顔をつねに感じていられる。

これからのヨナにとってこれほど平穏なことは無いと思います。ヨナがそう思いながら生きる事が、リタ・ミシェルの魂の平穏につながるのではないでしょうか。

 

—  今後、間に記事が追加されるかも知れませんが今回はここまで —

90分にもかかわらず非常にまとまりのある良い映画だったと思っています。次公開予定の「閃光のハサウェイ」は高校生の頃小説で読みました。ヒロインのギギ・アンダルシアは印象に残っていてアバターなどで名前を一部使ったりした事もあります。ラストももちろん知っているので、それをどうするのかいろいろ楽しみです。